■文化財保存全国協議会第37回千葉大会 大会決議 


千葉市貝塚町貝塚群(千葉貝塚)の保存と活用を求める決議
 千葉県千葉市若葉区貝塚町に所在する貝塚町貝塚群(千葉貝塚)は、その地名が示すとおり、南北約1q、東西約700mの間に、国指定史跡の荒屋敷貝塚をはじめとして台門貝塚、台門下貝塚、西光院貝塚、殿作南貝塚、殿屋敷貝塚、荒屋敷(西)貝塚、谷津堀貝塚、荒屋敷北貝塚、尻籠貝塚、尻籠東貝塚、向ノ内東貝塚、草刈場貝塚、東辺田貝塚、草刈場北貝塚、新堀込南貝塚、貝塚町殿山貝塚が連なっており、貝塚が多い千葉市の中にあっても特に貝塚が稠密に集まった地域です。そのため、貝塚町貝塚群が一望できた1960年代までは台地上全体が貝塚の貝で白く輝いて見えたことから、明治時代には現在貝層の平面形状によって便宜上分けている貝塚をあわせて一つの貝塚と認識し、「千葉貝塚」と呼ばれていました。このように貝塚町貝塚群を一つの貝塚としてみた場合、その規模は世界一大きな貝塚といわれることが多い南・北二つの環状貝塚をあわせた加曾利貝塚の約15倍の貝塚と、他に追従を許さない巨大貝塚ということができます。
 これらから、貝塚町貝塚群(千葉貝塚)は考古学黎明期からしばしば学界で取り上げられ、山崎直方によって貝層断面の図がはじめて学会に提示されたことや、酒詰仲男・和島誠一による草刈場貝塚の発掘調査で環状貝塚を形成した集落の姿をはじめて明らかにされることなど、学史上の重要な遺跡が集中しています。
また、貝塚町貝塚群(千葉貝塚)は、縄文時代の貝塚が密集しているだけでなく、古墳時代の住居跡内に形成された貝塚や、中世の堀の中の貝塚など、先史時代から現代まで貝塚が形成されており、貝塚が千葉市の歴史を通す個性であることを良くあらわした地域でもあります。
 この、貝塚町貝塚群(千葉貝塚)に対する1970年代以降の研究で、特定の時間断面では貝層の見かけや微地形と無関係に住居ゾーン等が展開していることがわかったことから、集落を一遺跡として捉えることが可能な「千葉貝塚」の見方が再評価され、広域に遺跡が残っている貝塚町貝塚群(千葉貝塚)は、巨大な貝塚をともなう集落の変遷を復原することができる希有な地域であることが学界から指摘されております。しかしながら近年、道路拡張工事計画や住宅建設に向けての土地の購入が進むなど、遺跡の価値を大幅に減じかねない状況に直面していることから、以下のことを緊急に要望いたします。


1 荒屋敷貝塚の国指定史跡範囲を、連続する貝層全体に拡大すること。また、貝塚町貝塚群(千葉貝塚)全域を、史跡を用いて地域活性化を進める史跡ゾーンとし、遺跡の保存・整備を行うこと。

2 貝塚を形成した人々の村の姿が復原できるよう、土木工事を行う際は、周知の遺跡に対してこれまで通り事前調査を行うとともに、貝塚が形成されていないため周知の遺跡範囲に入っていないところであっても十分注意して調査を行ない、資料の蓄積・整備をはかること。

3 貝塚町貝塚群(千葉貝塚)を糧とした町づくり構想及び計画を、市民参加型で策定すること。また、市民自らの手によって遺跡を最大限に活用する地域計画の継続的作成とその計画にそって“貝塚の町”を運営する主体の形成を促進し、貝塚町貝塚群(千葉貝塚)を市民の暮らし創造に持続的に活用できるシステムを整備すること。

4 巨大貝塚の分布の中心である貝塚町貝塚群(千葉貝塚)を核に、東寺山貝塚群、加曾利貝塚、仁戸名貝塚群、平山町貝塚群など主要な貝塚をフットワークパスで結び、“貝塚の町”が地域個性の一つの柱であることを体感できるよう整備をはかるとともにカルチャーツーリズムの拠点とすること。また、巨大貝塚の形成を支えた海・川・平地林と貝塚を結び、環境教育及びエコツーリズム等を促進すること。

以上、決議します
2006年6月11日
文化財保存全国協議会第37回千葉大会