寺野東遺跡の現地周辺の位置関係を把握するため衛星画像にマークを重ねたものである。衛星画像はtrue color でなく、市街地が茶色に発色するような処理にした。 何千年の時をへて関東平野をつくった幾筋もの河川の力と、その河川と戦いあるいは共存してきた同じく何千年もの人間の営み。ときには人間が人間を無視し苦しめた・・・・一枚の画像だが歴史が刻まれている。 この一帯は平安期頃より開墾が進行したようであり、その動きの中から武士団が勃興してくる。南側に広がるのは平将門の活動した舞台である。鎌倉期には藤原秀郷の流れをくむ小山氏が下野国国司および守護を世襲しこの一帯に勢力をふるった。戦国期には北の宇都宮、東の佐竹、南西の北条らの激突の場となる。一部マークがある遺跡があるが、選択にとくに意味はない。ついでに城郭をマークしようと思ったのだが、わかりにくくなるので別の機会にすることにした。こちらの方面で寺野東遺跡などの環状盛土遺構あるいは縄文貝塚に関連する情報(とくに所在情報)をご存知の方、ご教示いただければ幸いです。 なお寺野東遺跡については、冬至の日、筑波山の山頂から日が昇ってみえるという指摘がある(Archaeological Laboratory http://tokyo.cool.ne.jp/jomon/index.html)。 (参考) とちぎと海水面 @栃木県総合教育センター ★篠山貝塚(縄文前期、関東平野最奥部の貝塚のひとつ) 藤岡町の遺跡と古墳 ・以上のスケール、数値等は正確さを保証するものではない。参考程度に考えられたい。 ・Source for this Landsat's dataset was the Global Land Cover Facility, U.S.A. http://www.landcover.org |
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