上の写真は、諫早湾が有明海から遮断されたほぼ1年後、1998年にスペースシャトル・コロンビア号(Space
Shuttle Columbia)から撮影された写真である(NASA提供)。この写真を実際に撮ったのは誰か、確認できないが、NASAのスタッフおよびクルー(STS009 Crew Portraitl)のターゲットが諫早湾であったことにまちがいはない。 ****** 九州にももちろん縄文人はいた。というか現在わかっている最古の縄文人は九州にすんでいた。日本で最古の土器は九州、佐世保市の泉福寺洞穴で発見された豆粒文(とうりゅうもん)土器なのだから。同時期の土器は五島列島、福江島の茶園遺跡でもみつかっているという。 そして貝塚である。豊穣の海にかこまれた九州の縄文人は、東京湾東岸ほどの規模ではないが、やはり貝塚をつくった。有明海の東岸とくにその南端部は九州一の貝塚密集地だそうである。しかし東京湾と有明海・八代海はほぼ同じ面積だが、だいぶ貝塚の様相は異なる。その違いは格好の研究テーマである。
ところでハイガイと呼ばれる貝がある。千葉市内の縄文前期の貝塚を歩くときまってというほどその貝殻を見かける。ハイガイを押し付けた跡の残る土器片もしばしば落ちている。おなじみの貝である。だが生きたハイガイを見ることはない。ハイガイは6000年前の縄文前期には函館以南の日本各地の内湾に生息し、縄文人の食料となっていたが、暖かくしかもきれいな海でしか生息できないため、関東の海から姿を消したからである。縄文時代前期から現在にいたる環境変化を象徴するような貝である。そのハイガイは、西日本では1930年頃まで各地で見られたというが、近年では有明海の奥部でしか見られなくなった。1997年、諫早湾が締め切られ、大量のハイガイが死滅した。最大の生息地は諫早湾であったのではないか、ついに日本のハイガイは絶滅の危機に陥ったのではないか、と危惧する声がある。むろんハイガイは問題のほんの一部にすぎない。 九州の縄文人を育てた海も東京湾東岸の遠浅の海と同じ運命をたどるのだろうか。 (参考) 地球観測衛星による有明海及び諫早湾の観測 @RESTEC 諫早湾 @ERSDAC 諫早湾干拓事業について @農林水産省 よみがえれ!有明海訴訟 諫早湾干拓事業公式資料ページ Hirofumi Yamashita @Goldman Environmental Prize 有明海漁民・市民ネットワーク 佐藤正典「有明海の重要性−危機に瀕した干潟生物の最後の砦(要旨)」(PDF) ●九州の縄文遺跡 沿革 @諫早市 泉福寺洞穴 @佐世保の歴史を調べよう 泉福寺洞穴 @佐世保の遺跡(縄文時代)調べ 草創期1土器の話 @歴史研究所 加曽利貝塚博物館2000 「長崎県の貝塚と遺跡 −縄文時代のながさき−」 加曽利貝塚博物館2001 「不知火の海と貝塚 −有明海・八代海沿岸の貝塚文化を探るー」 |
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